バッハアンサンブル富山 > 佐々木先生より

バッハ・アンサンブル入団へのお誘い

皆さん、こんにちは。バッハ・アンサンブル富山常任指揮者の佐々木正利です。今日は皆さんをバッハの声楽曲の世界に誘いたくてペンを取りました(いや正確に言いますとワープロの前に座りました)。

皆さんのなかには、バッハがとても大好きという方もたくさんいらっしゃるでしょうが、でもその7割方の皆さんが「えっ、バッハって歌も書いてんの?!」ってお思いではないでしょうか。かくいう私も芸大に入るまでは、バッハっていったら入試のピアノの課題曲「インベンション」くらいしか知らず、その私がバッハの虜になり、こうして偉そうに(でもないか?!)能書きを垂れているのですから、皆さん「事実は小説よりも奇なり」ですよね。でもそのいきさつを知られると、きっと皆さんも「私もバッハをできる!」と思われるのではないでしょうか。というか、そうなったらうれしいなって心底思います。

私は世の男声声楽家の大半がそうであるように、小っちゃい時から音楽をやったわけではありません。高校時代に合唱をやっていて、単に声がいいからって調子に乗せられその気になってっただけの話です。その頃やっていた曲はパレストリーナ。4声の追っかけっこと絶妙なバランスの上に織りなされる珠玉のポリフォニーは、声(と態度)がデカかった能天気なテノールに害されて、珠玉なはずだった、に格下げされてしまっていました。しかしそれにメゲるような御仁じゃありません、そのテノールは。しれっとうそぶいたセリフが「芸大行ったらみんな声がデッカイから結構バランス取れるんじゃねぇか!」ときたもんですから、まあ我ながら大したもんだと思います。かくしてその独りよがり、芸大にまぐれで入ったのもものかは、屈託なく「パレストリーナやりたい人、この指とまれ!」ってロビーで目立ってましたっけ。だけど世の中そんなに甘くない。彼のたいそうな自信とは裏腹に、その指にとまった人はなんとゼロ! あとで知ったことですが、みんな芸大に合唱やりに来てんじゃなかったんだ、というわけでした。

ところが捨てる神あれば拾ってくれる神もあり、ってとこがイカすじゃありませんか。ここに、胡散臭そうな出で立ちながら、俺はできるとばかりにナルシスト風を吹かせた野暮兄ちゃんが登場し、おい、オマエ!、芸大に来てまで合唱やりたいんか? と迫って来ます。その兄ちゃん、こう宣ふではありませんか。「そんなら俺、小林道夫っていうナイスガイ知ってるぜ。なんてったって受験前、小林先生にピアノ習ってたもんな。この先生がさ、バッハの大家なんだよ。ん? ピアノもそうだけどカンタータの指導にかけちゃ世界級なんだぜ。そうだ、知ってるかい、カンタータにゃ合唱もあるんだぜ、素敵だろ!」と口説かれちゃったわけです。と、当の本人の私、カンタンタなんて知るかい、そんなカンタンなもんかい、って突っぱねようとした(形跡がある)らしいんだけど、合唱の二文字にはとんと弱くあえなく撃沈。かの野暮兄とともに、ロビーでバナナの叩き売りならぬ、カンタータはいかが、カンタータやらないかい?! の連呼に明け暮れることになったのです。

なんとカンタータなる組曲にはソロもあり、器楽伴奏もありときて、そのいろんな切り口にハエ取り紙に吸い寄せられるように人が集まり、かくして東京芸大バッハ・カンタータ・クラブの誕生と相なった次第です。そのクラブ、来年で創部満50年を迎えます。スゲエ歴史やなあと、我ながら感嘆してますです、はいっ!

まあ冗談はさておき、カンタータ・クラブをやってホントによかった。なんてったって「世界」をいっぱい体験できたってことが変え難い財産となりましたから。まずはバッハです。伊達に「音楽の父」と呼ばれているわけじゃないことはすぐにわかりました。この世のありとあらゆる音楽的な要素が、そこには散りばめられていたのです。

カンタータは、神様を賛美するキリスト教の礼拝の中で演奏された、オケと声楽による1曲20分ほどの音楽組曲で、毎週変わる礼拝の説教のテーマを信者さんたちがわかりやすく理解できるよう音楽で示したもの。週ごとに1曲提供するのがカントール(教会音楽家)の役割でしたから、バッハも生涯中数百曲は作ったと言われています(現存するのは200曲余ですが)。バッハは神様に捧げるこれらの楽曲を全身全霊、誠実に作りました。ですからそのすべてが駄作知らず、ありとあらゆる音楽ファクターがそこには詰め込まれています。そうした珠玉の作品を、世界の歴史に残る音楽家のひとりの小林道夫先生が、一つひとつドイツ歌曲を紐解くように丁寧に教えてくださるのですから、申し訳なかったけどレッスンそっちのけでクラブ活動に没頭していきました。先生は、歌い方や発音のみならず、発声からドイツ語のディクション、様式感や和声感、奏法からアンサンブルまで、ありとあらゆる事柄を懇切丁寧に、初心者の私たちにもよくわかるように手ほどきしてくださり、集う私たち学生はといえば、のちに様々な分野で世界的演奏家となった意欲ある若者たちだったので、充実感がいや増しになり、芸大一真面目に音楽する団体として現在もなお最高の評価をいただいています。

私はバッハを知りませんでした。それどころか器楽と一緒に音楽したことも、ドイツ語も宗教曲にも無知で無垢で無頓着でした。でも今こうして、師匠の小林道夫が私たちに示してくれた道筋をしっかり受け止め、後進に繋いでいます。なぜなら、知らない人、体験したことがない人にも、一から丁寧に紐解く術を師匠に習えたからです。

人間の永遠の興味、課題は「生と死」であり、そこから派生する「愛」が、宗教曲の究極のテーマになっています。誰もが死を避けて通ることはできず、死から逃れられません。宗教音楽や恋愛をテーマにした作品がすばらしいのはそこからきているのです。

バッハのカンタータは、ありとあらゆる側面から私たちを高めてくれます。ドイツ語は苦手だ、宗教曲はきな臭い、などと仰らないでください。ドイツ語の発音やディクション、ニュアンスなどは懇切丁寧に私がお教えします。キリストが嫌なら賛美の対象を仏陀やご先祖様に置き換えてもいいのです。誰しもが感じ、思い巡らす生の本質を、肩肘張らずに歌ってみようではありませんか。バッハがいかに人間臭かったか。それをわかるだけでもめっけものですよ。

ご一緒しませんか、皆さん! バッハ・アンサンブル富山のメンバーは、みな純粋に合唱を、バッハを好きで楽しんでいます。その輪に加わってください。こころよりお待ちしております。待っとっちゃー!